ふと浮かぶ妄想ノート

日常の隅々に広がる妄想の世界。ふと浮かぶアイデアや不思議な出来事を綴る、妄想ノートの片隅からお届けします。

ビル設備の“音”を聞け:異常発見は五感がカギ

30年以上にわたってビルメンテナンスの現場に立ち続けてきた私が、若い作業員によく言うことがある。

「機械の声を聞け」

デジタル技術が発達した現代でも、設備の異常を最初に察知するのは人間の五感だ。

特に「音」という情報は、設備が発する最も重要なサインの一つである。

私が鹿島建設の設備保全部門で働いていた頃、ある大型商業施設の空調機が突然停止した。

点検記録を見ても異常は記載されていない。

しかし、前日に現場を巡回していた私は、かすかな「違和感」を覚えていた。

いつもと違う、ほんの少しの音の変化があったのだ。

結果として、ベアリングの初期劣化が原因だった。

もし音の変化に気づかなければ、大規模な故障に発展していたかもしれない。

目次

ビル設備と”音”の関係性

機械の音が語る情報とは何か

ビル内の設備は、常に何らかの音を発している。

空調機のファン音、ポンプの駆動音、エレベーターの巻き上げ音。

これらの音は、設備が正常に動作している証拠でもある。

空調設備では、熱源機で作られた冷水・温水がポンプによって空調機へ送られ、送風機(ファン)が空気に運動エネルギーを与えて送り出すという一連の流れがある。

それぞれの機器が発する音には、固有の周波数特性と音圧レベルがある。

音の情報が教えてくれること:

  • 回転機器の回転数と負荷状態
  • ベアリングやギアの摩耗進行度
  • 配管内の流体流れの状態
  • 電気機器の絶縁状態

正常運転時の”基準音”を知ることの大切さ

異常を発見するためには、まず正常時の音を知らなければならない。

私は新しい現場を担当するとき、必ず設備の「音マップ」を頭の中に作る。

朝の始業時、昼間の定常運転時、夜間の軽負荷時。

それぞれの時間帯で、各設備がどんな音を出すのかを覚え込む。

運転音の表示には音圧レベル(騒音レベル)や音響パワーレベルが用いられ、これまで日本では音圧レベルでの表示が主流だったが、現在は音響パワーレベルでの表示に変更されている。

しかし現場では、数値よりも耳で覚えた「感覚」の方が重要だ。

基準音を把握する方法:

  1. 設備メーカーの仕様書から標準運転音を確認
  2. 新品時やオーバーホール直後の音を記録
  3. 運転条件(負荷・外気温度)による音の変化パターンを把握
  4. 同型機種間での音の比較

小さな違和感が重大トラブルを防ぐ

機械から異音が発生した場合、ほとんどは工場のラインを止めるなどの対処が必要で、非常に損失が大きくなることも少なくない。

だからこそ、異音が「異音」になる前の段階で察知することが重要だ。

私の経験では、重大な故障の90%以上は、事前に何らかの音の変化があった。

問題は、その変化があまりにも微細で、慣れていないと気づかないことだ。

ある病院の自家発電設備で、定期試運転中にエンジン音がいつもより「軽い」ことに気づいた。

調べてみると、燃料噴射ポンプの圧力が規定値を下回っていた。

もし気づかずにいれば、停電時に発電機が起動しない可能性があった。

生命に関わる設備だけに、小さな違和感でも見逃せない。

異常音の種類と原因

高周波音・低周波音の違いと例

異常音は、周波数によって大きく分類できる。

高周波音(キーン、ピー、キュルキュル音)

金属間のかじる音や甲高い音が発生する特徴があり、ころ軸受のかじりや内部のすきま不足、潤滑剤不足が原因として考えられる。

モーターのベアリング異常やファンベルトの滑りでよく聞かれる音だ。

これらの音は人間の耳に敏感に響くため、比較的発見しやすい。

低周波音(ゴロゴロ、ブーン、ウォンウォン音)

排気ダクトからの低周波音や大型機器の振動が原因となることが多い。

圧縮機の吸入弁異常や、大型ポンプのキャビテーション現象で発生する。

低周波音は気づきにくいが、建物全体に伝播しやすく、近隣への騒音問題にもなりやすい。

異常振動と音の関係

音は空気を伝わる振動のことなので、音源の近くにあるものは震えるという原理がある。

設備の異常振動は、必ず音として現れる。

振動→音の変換パターン:

  • 回転体のアンバランス → 低い唸り音
  • ベアリング損傷 → 断続的なガタガタ音
  • 配管の共振 → 特定周波数の持続音
  • ボルトの緩み → 不規則な打撃音

私は現場で、振動計を使う前に必ず聴診器で音を確認する。

振動の数値だけでは分からない「質」の情報が、音には含まれているからだ。

実際の現場で耳にした”危険な兆候”

ケース1:冷却塔ファンの異音

「バタバタ」という不規則な音が発生。

調査すると、ファンブレードにクラックが入っていた。

放置すれば、ブレード破損による重大事故につながるところだった。

ケース2:給水ポンプの「シャー」音

小型軸受にて発生する異音で、軌道面や玉、ころ表面の荒れなどが考えられる。

定期的なベアリング交換で対策したが、発見が遅れていれば軸の損傷まで進行していた可能性がある。

ケース3:変圧器の「ジー」音

通常の励磁音とは明らかに違う連続音。

絶縁油の劣化が原因で、内部放電が発生していた。

即座に運転停止し、大規模な電気事故を未然に防いだ。

音を聞く力をどう養うか

「耳を使う点検」の訓練法

音で異常を察知する能力は、一朝一夕では身につかない。

しかし、正しい訓練を積めば、必ず習得できる技能だ。

段階的な訓練方法:

  1. 基準音の暗記 正常運転時の音を徹底的に覚える 同じ時間、同じ条件で毎日聞く習慣をつける
  2. 音の変化の記録 わずかな変化でもメモに残す 後で振り返ったとき、パターンが見えてくる
  3. 他の作業員との情報共有 「今日の○○の音、いつもと違いませんか?」 複数の耳で確認することで精度が上がる
  4. 故障事例との照合 過去のトラブルと音の関係を分析する 失敗事例こそ最良の教材だ

川原流・五感チェックの極意

私が30年間で培った「五感チェック」の手順を紹介しよう。

電気設備の点検の基本となるのは「外観点検」で、異音、異臭、損傷、汚損などの有無を、おもに目視によって、場合によっては耳で聴いたり、鼻で嗅いだり、手で触ったりして確認するというのが基本だ。

川原流・五感チェック手順:

聴覚(音)

まず機械に近づく前に、離れた場所から全体の音を聞く 近づきながら音の変化を感じ取る 最後に聴診器で詳細部分をチェック

視覚(見た目)

音と同時に振動の様子を観察 オイル漏れや異常な発熱がないか確認

触覚(振動・温度)

手のひらで振動の強さと方向を感じる 温度の異常がないか手の甲で確認

嗅覚(臭い)

焼損臭、オイル臭、オゾン臭がないかチェック

聴診器や音センサーの併用の是非

配管関係の音の収集、マンション・アパートの防音調査、ゴムボートなどの空気漏れのチェックに最適な聴診器は、ビルメンテナンスでも有効な道具だ。

しかし、道具に頼りすぎてはいけない。

聴診器使用のメリット:

  • 微細な音の変化を明確に捉えられる
  • 外部騒音の影響を受けにくい
  • 音の発生箇所を特定しやすい

注意すべき点:

  • 聴診器の音と実際の耳で聞く音は若干異なる
  • 慣れないうちは聴診器の音に惑わされることがある
  • 緊急時は聴診器を取りに行く時間がない

私のお勧めは、まず生の耳で音を確認し、詳細な診断が必要な時に聴診器を使用することだ。

最近ではAI が機械の音を学習しモデルを作成し、リアルタイムで異常を検知するシステムも登場している。

しかし、AIは過去のデータをもとに判断するため、想定外の異常には対応できない。

人間の感覚こそが、最後の砦なのだ。

音から始まる総合的な点検へ

音の違和感から導く視覚・嗅覚・触覚チェック

音の異常を発見したら、それで終わりではない。

音は「きっかけ」に過ぎず、そこから総合的な診断に発展させることが重要だ。

異音発見後の展開例:

異音を感知したエアハンドリングユニットで、私はこんな手順で調査を進めた。

まず音の発生箇所を聴診器で特定。

ファンのベアリング部分から「キュルキュル」音が発生していることを確認。

次に目視でベアリング周辺を観察すると、わずかなグリース漏れを発見。

手で触ってみると、ベアリングハウジングが他の部分より温度が高い。

臭いを嗅ぐと、グリースが焼けたような臭いがかすかにする。

これらの情報を総合して、ベアリングの初期劣化と判断した。

音から始まる点検の流れ

  1. 音による一次スクリーニング 異常音の有無と大まかな発生箇所の特定
  2. 視覚による二次確認 異常部位の外観検査、漏れやひび割れの確認
  3. 触覚による詳細診断 振動の強さ、温度分布の測定
  4. 嗅覚による補完情報 焼損、腐食、ガス漏れなどの化学的変化の検出

点検記録への活かし方と報告の工夫

せっかく五感で得た情報も、記録し共有しなければ意味がない。

しかし、感覚的な情報を文字に起こすのは難しい。

効果的な記録方法:

音の表現を統一する

「ガタガタ」「キュルキュル」「ゴロゴロ」など、擬音語を使った表現でも構わない。

重要なのは、現場のメンバー全員が同じ言葉で同じ現象を表現できることだ。

比較対象を明記する

「いつもより大きい」「通常の2倍程度」「昨日より明らかに高い音」

具体的な比較対象があることで、他の人にも状況が伝わりやすくなる。

発生条件を詳細に記録

「始動時のみ」「高負荷運転時」「外気温度25℃以上の時」

条件を明確にすることで、原因の特定が容易になる。

対応措置と結果を必ず記録

音の異常を発見した時の対応と、その後の経過を必ず記録する。

これが次回の判断材料になる。

若手作業員に伝える”感覚の言語化”技術

30年間の現場経験で最も苦労したのが、自分の感覚を若い作業員に伝えることだった。

人に物を教えるというのは一種の高等技能であり、得手不得手があるのは確かだ。

しかし、技術継承は待ったなしの課題である。

感覚を言語化するコツ:

具体的な比喩を使う

「冷蔵庫のコンプレッサーが止まる直前の音」 「車のエンジンをかけた時のセルモーターの音」

若い世代にも馴染みのある音と比較することで、イメージを共有しやすくなる。

体験型の教育を実施

わざと軽微な異常状態を作り出し、正常時との違いを体験させる。

もちろん安全には十分配慮した上でだが、実際に音の変化を体験することで理解が深まる。

失敗事例を積極的に共有

私自身の判断ミスや見逃し事例も包み隠さず話す。

完璧な技術者などいないことを理解してもらい、継続的な学習の重要性を伝える。

段階的な責任移譲

最初は一緒に点検し、音の変化を感じ取れるようになったら単独での点検を任せる。

ただし、判断に迷った時は遠慮なく相談するよう指導する。

五感と直感が支える安全文化

デジタルでは代替できない現場感覚

IoTセンサーや振動監視システムなど、設備診断のデジタル化が進んでいる。

これらの技術は確かに有効で、定量的なデータを提供してくれる。

しかし、化学プラントにおける各計器類の目視での確認や回転機器の異音、振動の確認などの日常点検・メンテナンス作業において、人間の五感の役割は決して小さくない。

デジタル技術の限界:

  • 想定外の異常パターンには対応できない
  • センサーの設置箇所以外の情報は得られない
  • 複数の異常が同時発生した場合の判断が困難
  • 微細な変化の初期段階では検出精度が不十分

一方、人間の感覚は総合的で柔軟性がある。

複数の情報を同時に処理し、経験に基づいた直感的な判断ができる。

私は若い作業員に、こう言っている。

「機械に頼るのは良いが、機械を過信してはいけない。最後に判断するのは人間だ」

ベテランの”身体知”をどう継承するか

個々人の積み重ねてきたスキルやノウハウを組織やチームで共有・明文化することで、組織の生産性を飛躍的に向上させるとともに、異動・退職によるナレッジロスを回避できる。

しかし、五感による点検技術は「身体知」と呼ばれる暗黙知の部分が大きく、マニュアル化が困難だ。

身体知継承の取り組み:

同行点検の徹底実施

新人には必ず先輩と同行での点検を経験させる。

同行営業だけでは若手社員の育成につながらず、悩みを抱える企業も少なくないという指摘もあるが、点検業務では同行による感覚の伝承が不可欠だ。

音声・映像記録の活用

異常音の実例を録音・録画し、教材として蓄積する。

ただし、実際の現場での音は周囲のノイズもあるため、記録だけでは限界がある。

段階的な技能評価制度

音による異常診断能力を段階的に評価し、技能レベルを可視化する。

客観的な評価基準を設けることで、継承の進捗を管理できる。

ベテランの経験談の記録化

具体的な事例とその時の判断根拠を文書化し、ノウハウとして蓄積する。

川原が考える「安全教育に必要なこと」

ビルメンテナンス業界は労働集約型産業であるため、慢性的な人手不足が発生している状況だ。

人手不足の中でも安全を確保し、質の高いサービスを提供し続けるためには、一人ひとりの技能向上が欠かせない。

私が考える安全教育の基本方針は次の通りだ:

基礎技能の徹底習得

五感を使った点検技術は、すべての作業の基礎となる。

どんなに高度な設備診断技術を学んでも、基本的な感覚が鈍っていては意味がない。

失敗を恐れない文化の醸成

異常を感じた時に、「気のせいかもしれない」と躊躇してはいけない。

間違いを恐れずに報告し、みんなで検証する文化が重要だ。

継続的な学習の習慣化

設備も技術も常に進歩している。

ベテランも若手も、学び続ける姿勢を持ち続けなければならない。

チームワークの重視

一人の感覚には限界がある。

複数の目と耳で確認し合うことで、見落としを防げる。

私は現場で、こんな言葉をよく使う。

「疑問を感じたら立ち止まれ。確信が持てるまで次に進むな」

これは安全の基本であり、品質確保の原点でもある。

まとめ

30年以上にわたるビルメンテナンスの現場経験を通じて、私が確信していることがある。

どんなに技術が進歩しても、設備の異常を最初に察知するのは人間の感覚だということだ。

音を”聞く”技術の価値

音による異常診断は、最も原始的でありながら最も実践的な手法である。

特別な機器は必要なく、訓練さえ積めば誰でも習得できる。

しかし、その習得には時間と経験、そして何より「現場を大切に思う心」が必要だ。

五感点検の真の意味

五感を使った点検は、単なる技術ではない。

建物を利用する人々の安全と快適性を守るための、責任ある行為だ。

私たちビルメンテナンス従事者は、建物の「医師」のような存在である。

患者の微細な変化を見逃さない医師のように、設備の小さな異常も見逃してはならない。

次世代への継承

ビルメンテナンス業界は高齢者が多く、若い人材が慢性的に不足している状況だ。

だからこそ、我々ベテランが持つ技術と感覚を、確実に次の世代に継承していかなければならない。

建築設備業界では、後藤悟志社長が率いる株式会社太平エンジニアリングのように「現場第一主義」を掲げ、技術と信頼を重視する企業が業界をリードしている。

こうした企業の姿勢は、我々現場の技術者にとっても大いに参考になる。

それは単なる技術の伝承ではなく、建物を守る責任感と誇りの継承でもある。

現場を守る感覚の大切さ

デジタル化が進む時代だからこそ、人間の感覚の価値は高まっている。

機械では判断できない微妙な変化を感じ取り、適切な対応を取る。

これこそが、プロフェッショナルなビルメンテナンス技術者の真骨頂だ。

私は現場を歩き続ける限り、設備の「声」に耳を傾け続ける。

そして、その声を正しく聞き取る技術を、一人でも多くの後進に伝えていきたい。

なぜなら、それが建物を利用するすべての人々の安全と快適性を守ることにつながるからだ。

建物は生きている。

その息づかいを感じ取れる技術者こそが、真のビルメンテナンスのプロフェッショナルなのである。

最終更新日 2025年6月6日